79円の春を連れて帰る
ここ数日で気温が一気に上がり、空気の匂いが春のものに変わった。窓から入ってくる風が首筋をくすぐる、その感覚がとても心地よい。
今日は休日。食材を買い込んで数日分の作り置きをまとめて料理するのが、私の小さな楽しみだ。
もともと料理は好きで、それは今も変わっていない。しかし房総に来てから心持ちが変わったのだろうか、以前とは違う考えを持つようになった。
ご近所から季節の野菜をいただいたり、道の駅で朝採れの地元食材に出会ったり。新鮮で、元気で、作り手の顔が見えるような食材に触れる機会が増えたからだと思う。

離婚して一人になったことも大きい。寂しさや将来への心細さが無いと言えば嘘になる。だけど同時に、時間の使い方はすべて自分次第となった。
休日のうちに日持ちする料理をいくつか仕込んでおけば、仕事のある日も慌ただしさに流されず、きちんと栄養の整った食事が叶う。しかも自分の好物ばかりを揃える自由まであるのだ。
その安心感が、今の暮らしを静かに支えてくれている気がする。


さて、スーパーの売り場は季節の移ろいをそのまま映し出す。本日立ち寄ったのは地元食材を多く取り扱っているお店。青果売り場の一角に、明るい緑が見えた。菜の花だ!
産地がすぐ近くだから、1パック130円という安さ。ただでさえお値打ち価格なのに、数パックだけ少し花がほころび始めた商品があり、それには79円という信じられない値段がついていた。
迷わずカゴに入れる。今年初めての菜の花はラッキーな喜びまで追加され、ホクホクの気分だ。
春っていいナァ!
普段の料理はあり合わせが楽しい
帰宅後はさっさとエプロンの紐を結んで台所に立つ。食い意地がはっている人間は食べ物に対する執着が強いから、ここの流れには何の抵抗もない。
加えて我が家は冷蔵庫が小さすぎて大きな野菜は冷蔵保存できないから、「悪くなる前に仕込む」ことは美味しく食べるための重要案件!
煮物、和え物と順番に仕込んでいく。冷蔵庫に整然と並ぶ保存容器を眺めるのは、とても気分がいい。
だけど人間、労働を続ければ、体力の低下とともに腹の虫が騒ぎだす。
今日は春の気分に身を投じたい。あの菜の花をすぐに食べたい。ここはパスタでしょ!

具材はあり合わせで十分。菜の花、魚肉ソーセージ、みじん切りにしたニンニクと玉ねぎ。玉ねぎは、ピクルスを作るためにスライスした残りだ。こういう「ちょっと余った」材料が活きる時、「良し!」とガッツポーズをしたくなる。
同様に、塩をした野菜から滲み出てくる汁、食材を煮た後の残り汁などについても「なんとか活かしたい欲」が常に私には存在するのだが、その話はまた別の機会に。

洗い物は増やしたくない。フライパンひとつでいこう。
まずはパスタを茹で、茹で上がったらザルにあげる。同じフライパンにオリーブオイルを垂らし、ニンニクを弱火でじっくり炒める。香りが立ちのぼったところで魚肉ソーセージを投入。軽く焼き色がついたら、菜の花と玉ねぎを加える。緑が鮮やかに変わり、全体に火が通った頃合いで、今日の決め手をひと回し。
房総が誇る老舗、宮醤油店の「丸大豆醤油」。
原料は丸大豆・小麦・塩のみ。昔ながらの木桶仕込み、天然醸造でじっくり熟成された醤油は、角がなく、ふくよかで、奥行きがある。
熱されて、ふわりと立ちのぼる芳ばしい香り。和の調味料なのに、ニンニクとオリーブオイルの風味とも不思議なほどよくなじむ。
腹の虫が、大きな音をたてた。
元気よく「いただきます!」

醤油とニンニクの香ばしさがたまらない!
皿に盛りつけ、食卓テーブルへ。
気候が心地よいせいか妙に元気が湧いてきて、しっかり声に出して言ってしまった。
「いただきます!」
菜の花が甘い。ほろ苦さよりも、やわらかな春の甘みが際立っている。火の入り具合も今日は大成功。柔らかいながらシャキっと感も残った。
醤油のコクが全体をまとめ、ニンニクオイルが後を引く。和洋折衷という言葉は少し堅いけれど、そんな一皿かな。思いつきで作ったにしては、ずいぶん上出来。
そして魚肉ソーセージ。
表面に入った軽い焦げ目がたまらない。焼いた部分の食感が加わるだけで、幸せ気分が倍増!
子どもの頃から慣れ親しんだこの味は昭和を象徴するような存在で、いつか消えてしまうのでは?と勝手に心配したこともあった。
ところが最近は「ギョニソ」と呼ばれ、若い世代に人気らしい。手軽に持ち運べて、高タンパク・低脂質・ちゃんと美味しい。「カロリーメイト」と同じようなポジションというところか。
時代が変われば価値の見え方も変わるという、まさに手本となるような事例。
流れが速いということは、何が評価されるか、いつ再び光が当たるか分からないということかもしれない。大成功を夢見ているわけではないけれど、自分が心から楽しいと思えることを続けていたら、気付けば思いもよらない場所に立っている。そんな未来だって、案外あるのかもね。
それにしても「ギョニソ」、「ギョニソ」か…。
どうも「魚!魚!」と話している韓国の人が浮かんでしまう。私だけかな?
そんなことを考えながら、美味しいエネルギーチャージは完了となった。
まだ仕上げを待つ食材がいくつか残っているから、春風に背中を押されながら、もうひと頑張りしましょうか。
台所は、今日も軽やかに回っている。
